柳田國男の超越性

彼は、濫読の時代に沢山の知識を詰め込んだ。その後、森 鴎外を始めとする良き先輩或いは仲間に恵まれ、言わば精読の時代とでもいうべき時を過ごし、それが二つの原体験と相まって後で迸り出て来るのである。 その知識はすべて彼の頭の中で咀嚼され、自分の言葉になって自然に当然の知識として出て来る。 彼が平田篤胤を評して、「ことに平田などの幽冥論というものは、理論というよりはむしろ精を出して感得したというような意味がある。すなわち日本の神道に関する昔からの伝説、書物をことごとく眼を通してしまってからさらに自分の心の中から出したというような意見で、よほど面白い。」と言っているが、柳田國男自身がしていたのがまさにこれである。

例を挙げればきりが無い。彼の話には色々な人間が登場する、クセノフォン、ヘロドトス、ベーコン 、マキャベリ 、ルーテル、ダンテ、一時代前の哲人達の名前が目白押しである。

歴史と言う一本の絡んだ糸をほぐしながら辿り限りなく普遍的なものを追求し、又同じ糸を辿って、その間に誤りを訂正しながら元に戻る。この作業の繰り返しを彼は常にしている。彼の言う「史心」とはこういうものらしい。これはまるで意識の深いレベル迄到達する瞑想の様にも見える。

そして彼の遡る時代は常に学問体系が未だ出来上がっていない時代である。 ヨーロッパの復興期に神学と哲学のシンクレティズムの試みられた時代である。つまり信じる事と、自分で考える事しか無かった時代である。

彼は誰かの言説を伝えようとしているのではない。只々真理だけを追究して発信しているのである。 彼自身が既に発信主体になっていて、真理と彼の間を媒介する存在は何も無い。 彼は自身思考回路を常に初期化出来る特殊な才能を持っている。つまり、何にも縛られず、何の先入観も持たずに物事を観察する能力である。

彼は、ルネサンス期の「普遍人」と呼ばれた人達の様に、「人文学」を嗜み、「人間学」=アントロポロジーを追究したのである。

今回、彼の「知」の「技法」を学ぶという試みで判ったのは、彼の頭脳が、コンピューターに例えると、空きメモリーが大きい、つまり作業場が大きく又、同時に複数の情報を処理出来る、高度なデータ・ベース機能を備えたものである事なのである。 又彼は、外部メモリーとして使用したのが、筆者を悩ませるあの膨大な数の著作集である。

筆者が彼を理解する為には、ここからスタートしなければならなかった、それも六年もの長い歳月をかけて、いや、筆者の人生五十年そのものなのかも知れない。

「ヒストリーを望むにはエスノグラフィーの木蔭がよく、しかもその森の中のただ一筋の小路を辿らなければ、フォクロアのわが家には還って来られぬ」
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