沖縄発見の意義

 それは「世界苦と孤島苦」 という言葉に全て含まれている。
 柳田國男が何故沖縄の研究に拘ったか。
幼少時における二つの原体験、鵯、絵馬 、から流れる二本の流れ、― 不可視のものと可視のものとの二つの流れとでも言おうか ― それらの流れが、國男の内でいつの日か、「信仰」と「世間」に対する疑問という二つの流れに育ち、それが沖縄で合流したのである。
 沖縄の発見により、それまでばらばらに持っていた疑問が全て一つに纏まったと言っても良い。同時にこれは彼にとって天職の発見と言っても良い位の体験であり、彼の私的な疑問が最早固有の問題ではなく、日本の問題として明らかになったのである。
彼にとって、この「信仰」と「世間」の問題の解決が、「和魂洋才」の問題を解く鍵だったのである。
 稲作の起源もさること乍ら、彼はそこに凝縮された、大和或いは本土或いは中央という言葉で表わされる、日本の姿を自己完結型のコスモロジーを見たのである。
彼の基本的考え方は、世の中は変えられるもの、という積極的なものであり、今で言えば「個」から「全」への発想である。世界がこの「個」から「全」、「全」から「個」の循環の中で動いている時に、日本にはこのいずれの概念も無かったのであり、彼にとっては、沖縄にあてはまらない普遍主義は、普遍主義でもなんでもなかったのである。
 彼にとって沖縄の発見は喜びと同時に日本人の閉鎖性の再認識でもあった、それは教育の重要性の確認でもあった。
彼が島と言うのは沖縄のみならず日本全土を指し、彼が村と言う時は日本の社会所謂世間を意味している。彼は、沖縄の問題が解決できる事が日本の問題を解決する事に繋がると信じていた。
その意味で彼が沖縄の研究に役立てる為に、彼の蔵書を成城大学に寄付したの意義深い。
 彼が日本の美点として捉えていたムラ社会という、かつては日本の長所でもあった特長が、民主主義、個人主義と矛盾するという、普遍性の壁を破る最大の障害になってしまっているのに気がつき、群の生態は島国に生きる知恵であり、彼は否定はしないまでも、付和雷同の性質は国語の不備から生ずる弊害であり、普通選挙に影響を与えると結論し、以来良き選挙民を育てる為の国語教育及び社会科教育に力を注ぐのである。

「賢こい少数の者に引きまわされる危険は、今とても国を脅かしている。判断を長者に一任するという素朴さは、もとは国民の美点だったかも知れぬが、その美点もこれからは改めて検討し、弊害があると心づいたら改良しなければならぬ。」

 沖縄では現在もシャーマニズムが残り、隔絶されているが故に温存出来るという特殊な環境であり、経済振興と環境保護という二つの相容れない要素に挟まれた地域である。この立場は逆から言えば、普遍主義の名の下に押し付けられる画一的な政策を通して、真の普遍主義を追究するには非常に良い環境とも言える。

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