國男の「学問」と芳秋の「疑問」



柳田國男の「学問」は変革期に於ける、日本のアイデンティティーの確立であり、彼より七十三年遅くこの世に生まれた芳秋の「疑問」は日本のアイデンティティー・クライシスに如何に対応するかである。言わば國男の学問が「惟神の道」の追究ならば、芳秋の「疑問」は「惟神の道」はローマへ通じるかである。近代化した日本の、社会システムと社会或いは国民感情との齟齬に如何に対応するかである。

近代文明及びそこから派生する民主主義、自由主義、個人主義等のイデオロギーを善とするならば、日本は最早そこから時代逆行する事は無い。
本来、西欧普遍主義からもたらされるそれらのものを、理論的に構築する事は可能である。
然し乍ら、社会システムと社会の齟齬は依然未解決のまま残されているのである。
経済的個人主義或いは共和主義的個人主義という言葉で日本人の心を解釈する事が出来るかは甚だ疑問である。
社会と社会システムのミス・マッチが社会と個人のミス・フィットを引き起こし、当の本人が自覚すらしていないかも知れないという事である。
つまり、自分が社会と社会システムとの齟齬によって、アイデンティティー・クライシスを起こしているとも知らず、社会にミス・フィットしている自分を責め続けるのである。
日本人のアイデンティティーは大部分解き明かされている、只、新しいシステムとの相性が悪く、アイデンティティー・クライシスを起こしているだけである。言わば、コンピューターのCPUとDOS及びハードウェアとソフトウェアの関係の様である。
明治以降「和魂洋才」と言って喜び、戦後50年今度は「インテルインサイド」と言って喜んでるみたいなものである。
筆者がコンピューターを引き合いに出して言いたかったのは、この点が問題なのである。 例えば、「和魂」、「洋魂」という「魂」の部分がCPUで、「和才」、「洋才」の「才」の部分がDOSだとし、それぞれ「世間」、「社会」というシステム上で動くとすると、「和魂」―「和才」―「世間」という組み合わせと「洋魂」―「洋才」―「社会」が理想的な組み合わせの筈である。

現在の日本での組み合わせは、「和魂」―「洋才」というCPUとDOSを「世間」と「社会」という国産と輸入のシステムつまり、二つのハードウェアで無理矢理動かそうとしているという事になる。「和魂」と「洋才」の組み合わせは、明治時代から使用しているので、どうにか間に合うが、「和魂」と戦後に導入された「社会」との相性がどうも悪いみたいである。

「世間」システムを使用している人は未だよいが、「社会」システムを利用している人はすべからくアイデンティティー・クライシスに陥るのである。従って、新しい「和魂」を早く作り、「世間」システムの使用を速やかに止めなくてはならないのである。 いちいち「世間」システムで変換してから、「社会」システムで使用するのでは、中の「人間」と言うソフトウェアに負担が掛かり過ぎるのである。

柳田國男が和魂和才に拘り続け、芳秋が和魂洋才の弊害を声高に訴え続けるのは同じ視点からなのであり、これが冒頭の「今日は個人の自由だの平等だのを説きながら、なお依然として実地を省みない概括論を押し通そうとするのである。やがて馬脚を露わすにきまっている。」國男の発言に繋がるのである。 別の言葉で言えば、柳田國男は常に和魂洋才に対する警告を発し続けていたとも言える。

ここに筆者が、柳田國男が「信仰」と「世間」に対する疑問を生涯持ち続けたと言う理由がある。

柳田國男はこのアイデンティティー・クライシスが起らない内に、日本の確固としたアイデンティティーを確立しようとした。
このアイデンティティー・クライシスが顕在化して来たのは、東京オリンピック以降で、つまり、國男がこの世を去ってからである。
筆者は、柳田國男の没後を「東京オリンピック以後」と呼んでいる。

ここである対談での柳田の発言を紹介して、第二部に移りたいと思う

「私はいつでも現在にとらわれている。変化を受けた、いろいろの影響を受けた日本人を知りたいという心持をもっている。しかしそれをやっておったら研究が非常に複雑になる。なんなら今から若い人たちの見方に加わってもよいが、もとは古い旧日本だけに力を傾けていた。少しく妥協的に聞こえたかもしれぬが、私は久しいあいだ「日本人らしさ」という言葉を使っていた。若い人たちはそれを解して、西洋の文明を受けて生きておくこともその「日本人らしさ」のうちのように考えたかもしれないが、自分だけはそれを固有のもの、開港以前からあったものというつもりだった。あるいは二つに分けて、現代の日本人らしさを知るのを、第二部とでもいっておいたほうがよかったろうか。」

【第二部】 【日本とは?】 【国際個人学研究所】 【芳秋自伝】 【HOME PAGE】 inserted by FC2 system