柳田國男が未だ生きていたら

柳田は戦後は専ら日本人の付和雷同の特質についての疑問を投げ掛ける事に終始していた。 彼は元来、日本人の群れたがる群集心理を、島国の生活の知恵として肯定的に捉えていた。 日本人は元来小さな社会の中で、お互いに批判し合って生きて来た。故老の下に伝えられる俚諺によって、嘲笑を受ける事により、学んで来た。つまり、世間の群の制裁を受ける事は、成人になる通過儀礼だったのである。

それが都市化の波に押され、最早美点とは言えなくなり、むしろ弊害として目立ち始めたのである。 大勢に流され、没個性が生きる知恵であった島国の生活は、近代化、国際化と相容れないものであった。 柳田はこの俚諺というものが日本に於ける教育の有力な要素であると結論し、後に諺を国語教育に取り入れる事を提唱するに至る。 柳田はこの嘲笑、笑いというものが、今では弱い者いじめになってしまっていると嘆く。 要約すると大体こうなる。

柳田は言葉に対しての思い入れが非常に大きい。 差別的な言葉を避け、右系の言葉を避けて通る。それが結果的にしばしば読者を惑わせる原因になる。 然し乍ら柳田は、「閑人の閑つぶし」との誤解にもめげず、又「補助学」との評価にも屈せず、終始学者としての立場を崩す事なく、独自の表現で国を憂い、社会或は学会の要求に応え、出来上がりつつあった学問体系に柔軟に対応している。従って彼の文章には何気ない表現の中に大事な意味合いが含まれている事が多い。 これが柳田國男の流儀である。

一般的になかなか彼の真意を掴み難いのは、彼には全くと言って良い程私利私欲が感じられないからである。つまり、彼にとっては、彼の疑問を誰が解いても喜びだったのであり、彼の提唱する学問がどこに位置するというのは、彼にとっては二の次だったのである。

柳田國男が未だ健在だったら何を考えているか。 晩年彼は「自分には時間が足りない」という事を何度となく言っている。もし彼に永遠の時間があったとしたら、現在彼だったら何を考えているのかを考えて見るのも面白いと思う。 物事には必ず原因がある、というのが彼の持論であるから、今の世の中の何がいけないのか原因を突き止めようとしているに違いない。

彼の括り出した日本の特質は悉く「個人主義」、「民主主義」と合わなかった事は彼も生前既に認めている。 柳田の言う処の「雷同不和」、「群の生態」の「改良」を説き続けているに違いない。 何故なら、彼にとっての「改良」とは「文化」そのものなのである。

「まず、『文化』とは何ぞやと言う事である。私などの意見では、文化は『改良』の意である。より良くなる事、つまり原始という語に対立するもので、従って『原始文化』の語自身が一つの矛盾であると思う。」
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