柳田國男は正確に伝えられているか

柳田國男は果して、正確に後世に伝えられているか、と言った時に、筆者は否と言う事しか出来ない。 何故正確に伝えられていないか、それは元を正せば、彼は最初から周囲の人間に正確に理解されていなかったからである。 従って、当然現在も彼を真に理解出来る人間は少ないと言えるのである。

これは近代思想史が正確に伝えられていないのと同じ原因とも思われる。 これを只簡単に、間にあの悲惨な戦争が入ったからだと言って済ます訳には行かない大きな問題である。 我々は、このミッシング・リンクとも言えるギャップを埋める努力をしなくてはいけない。

柳田は昭和二九年に『世界』での談話の中で、「此は或は私の主観的想像かも知れぬが」と前置きして、 「即ち国民の間の連帯、地域相互間の交渉連絡は無論配慮されねばならぬが、それだけでは計画としては不完全であると言わねばならぬので、ジェネレイショション間の連絡交渉を周到綿密にする必要があると思はれる。」と述べている。

これは筆者が今迄何度となく感じていた事であり、少なくとも今迄受けた教育からは伝わって来ていない事だけは確かである。 先に柳田が「主観的想像かも知れぬ」と言う下りは、筆者の父と祖父の関係を考えただけでも容易に想像出来る。

つまり柳田國男は自分の打ち立てた「民俗学」を実証科学として認めさせる為に半ば強引に「重出立証法」を提唱したが、國男の時代の博物学的科学から実証科学一辺倒の為正の時代への移行が上手く行かなかったと言う事なのである。

それはひとえに日本人が科学そのものを理解していなかったからに他ならず、その弊害は今になっても続いているのである。

柳田の考えていた事が、あの膨大な著作の陰に霞んでしまっている事も否めない事実ではあるが、あれだけはっきりと何度となく同じ事を繰り返し説く柳田の姿勢を、自分の事を言われているとも知らずか知ってか、自分に都合の悪い部分を無視し、都合の良い処だけ利用するのは、あまりにも虫がいいと言えないだろうか。

これを、日本は昔から「少なくとも自分に不都合な事実を書き残したものはない、隠すのをまた当然の所業としていたのである。」と、柳田が述べていると弁明する人はよもや居ない事を望む。 ここで筆者が言いたいのは、重出立証法も大事だが、柳田が何回同じ事を言ったから正しいという訳ではない、というのが柳田の基本的考え方だと信じるからである。

それとも、これも自分を度外視するという、全て蚊屋の外の日本人の特異体質なのか。 それでは、やがて21世紀になんなんとしている今も、「終戦前と同じじゃないか」、柳田が今も健在だったらきっとこう言って嘆くに違いない。 残念乍ら、柳田は東京オリンピックの前にこの世を去った。世の中が激変したのはその後である。それ以後我々は引用する教科書も無い状態に置かれている。先生がはっきりと教科書で述べた事しか言えない、先生が居なくては何も考えられないのならば、何か学びとったとは言えないのではないか。

柳田國男が和魂和才を追求してた事は逆から言えば和魂洋才への警告である、巷では民俗学は無化したという人間迄出るに至ったが、逆から言えば和魂洋才として如何にも存続し得たような他の各論こそ形骸化してしまっているのに気がついていないだけなのではないだろうか。 つまり、筆者が言うように海外の学説は全てデカルト以降の社会に対応しているのに日本人は無視するか、気が付きもしていないからである。 和魂和才を馬鹿にする人間は和魂洋才が行き詰まっている事にすら気が付かない、それはひとえに洋魂の研究が足りなかった為である。

「子どもたちが『なぜ』『なぜ』を執こく親たちに投げかけるあの旺盛な好奇心に化して行かなければ、我々成年の次代に対する責任は果されては居ないと言ふべきで、某意味からも、正しい観察批判の学問が日本に育つこと、それが教育の本道として確認されることが望ましい。」
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