個人の自由から自由な個人へ

戦後、個人主義、民主主義、自由主義の急速な浸透により、所謂ムラ社会は崩壊し、後に残ったのは大きな欧米型の社会の真只中に孤立する自由な個人の群れである。 人々は個人の自由の獲得に狂喜し、欧米型の社会システムの中で利便性の追求に気を取られ、幻想の全能感浸り、人生の重要な要素である心の拠り所、即ちムラ社会という秩序維持のシステム、所謂マズローが言う処の「安心欲求」の拠り所がじわじわ崩されて行く、或は全体主義の皮が一枚一枚剥がされて行くのに気が付かなかった。

これを自分達の獲得した個人の自由というものが、絶対的なものとの一対一の対峙を前提に機能するものとの認識が不足する儘享受した為に、個人は何の庇護も無い儘に丸裸の状態に陥ってしまったのである。 「恥の文化」という言葉で言い表されたムラ社会、隣組制度、村八分という言葉に端的に表されるムラ社会、これが今迄の日本の秩序維持のシステムだとしたら、今はこのシステムは最早機能していないのである。

今迄通りの何かに護られているという気持に早くけりを着け、丸裸になってしまった自分を自覚する事から先ず始めなくてはならない。幻想の全能感を纏った裸の王様では困るのである。 国際社会の流れに合流する為には、国際社会がどういう考え方の基準で動いているかを研究し、即ち個人主義、自由主義或は、個人、自由が如何なるものか再度深く考える必要がある。 「恥の文化」といみじくも言ったルース・ベネディクトが、日本に一度も来る事無く「菊と刀」を著せる位当時の米国では日本の研究が進んでいた。片や日本と言えば敵国語は使用しないと曾て言っていたという事でも判る通り世界の研究を疎かにし戦後50年以経った今でも曖昧な儘看過しているのである。

これからの在り方として、失われつつあるムラ社会の片鱗を求めて小さく纏まるのか、それとも国際社会に対応出来る個人を育成し、来るべき21世紀に備えるのか、どちらを採るべきかは言う迄も無い。

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