再生塾

「甘え」の構造再考

平成八年の正月に「今年は女々しい男とは付き合わない」と決めてから厳選した友人とだけ付き合う事にしている。 真の友人と呼べる関係はそう多くは出来ないとよく言われるが、本当に難しい。 余り旨く行かない事が続くと自分がいけないのかと思ってしまう。

反面教師として学ぶ事は多いし、何でもありのままに受け入れなければいけないと思いつつ、後味の悪いものである。 余り深く相手の内面に入り込まないで、表面的な付き合いをして自分が傷付くのを避けるという手も当然考えられるが、表面的な関係程無味乾燥なものも無い。

日本の男は何故こうも情緒的なのか、ロジックにからきし弱いく、行き詰ると途端に情緒的になり、潔くない。こういう男を今迄何人見た事か。 自分の意見が通らないと、「心外だ」とか「君にはがっかりした」とか捨て台詞的な言葉を吐く。

「俺の事も判って呉れよ」というのが「俺の我が儘を聞いて呉れよ」と同じで、相手が「NO」と言った途端「君にはがっかりした」は困るのである。

今では「女々しい」なんて言葉を使うと差別だと言われるが、たまに男性を女と呼び女性を男と呼んだ方が良いと思う時すらある。

強がりを言ってたと思った途端甘えて来る。この威張ってぶら下がろうとする「甘えの構造」は何処から来るのか。 この大人になり切れないという日本人の特異体質も元はと言えば神道的なムラ社会が原因であると言われている。

「『甘え』の構造」の中で土居健郎氏は下記の様に述べている。

「ともすれば閉鎖的なサークルに分割し易い日本の社会では、天皇の赤子ということ以外に万人を包摂するために適切で効果的な理念は存しなかったと考えられるのである。」 「これを要するに、日本人は甘えを理想化し、甘えの支配する世界を以て真に人間的な世界と考えたのであり、それを制度化したものこそ天皇制であったということができる。」

「しかし問題は教義の天皇制に限らない。義理人情とか報恩の思想とあるいは大和魂でも、それらが社会規制的に働いている間は、先に私が分析したようには、それらの本質が甘えの真理に存していることを認識することはできなかったのではなかろうか。天皇が神話を自ら否定し、日本国の象徴となって初めて、日本人一人一人の内心にひそむ甘えを明るみに持ちだすことが可能となったと考えられるのである。」

「甘えの精神と個人の自由とは相互に矛盾するように見えるが、そうであるとすると、明治以後の日本人が新たに西洋的な自由に接したことはひどく衝撃的な出来事であったと考えなければならない。この際もし日本人が真に個人の自由を体得できたならば、それによって彼らを悩ましていた義理人情の葛藤を超越できるかもしれないが、しかし事実はそううまくは運ばなかったようである。」

「本音」と「建前」を使い分けてでも頑に守ろうとしたのが「甘えの構造」では日本もいつ迄経っても未成熟社会の侭である。 「規制緩和」を考える前に先ず「個」の確立を考えるべきなのである。 この社会が孕んでいる病理を看過して、若者の悩みを恰も社会に対する順応性の欠除であるかの様に扱い対症療法を続ける限り「モラトリアム」も「アイデンティティー・クライシス」もなくなり様が無く、近代的社会は形成出来ないのである。

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