國男滞欧の意義

 ハイネの「諸神猟竄記」に感化され、平田篤胤の幽冥学に興味を持ち天狗の存在すら信じる柳田の学問は、ともするとイクザクト・サイエンスと相容れず、又ある時は閑人の道楽と言われる。
自身では何か超越したものを見つめていながら、信仰のみならず学問をも原初の姿に戻し考察する姿勢は、まさに神学と哲学のシンクレティズムなのである。
 これはイタリア・ルネサンス期のメディチ家のヴィラでロレンツォ・イル・マニフィコが開いた、プラトンアカデミーに似ている。
 彼が、彼の好きな言葉で言うと、キリスト教がヨーロッパ大陸を席巻する前の、信仰に興味を持ったのは、近代文明がルネサンスによりもたらされた事を熟知して居り、如何にして自国の文化を均質化としての近代文明から守る、つまり西洋文明の流入に対する対応策を考える事にあったのではないか。
彼は、西洋文明即キリスト教では結ばない。
彼は又、外来宗教即仏教とは言わない。
彼にとっての外来は西洋文明である。それも、外来=西洋文明≠キリスト教である。
 ロレンツォのヴィラの壁にはラテン語で「すべては良きものから発して、良きものへ向かう。現在に喜びを持て、富に憧れるな、位階を望むな、過激は避けよ、争いも避けよ、現在に喜びを」という意味の銘文が書きこまれていたそうである。
何事も肯定的に捉えた柳田が、「確実なる事実の比較によって、自然に到達する推論を待とうというだけの、雅量ある人は見られなくなった」と言う時、かのルネサンス期のゆったりとした時の流れが感じられるのである。
特に最近ではなかなか使われない、「雅量ある人」という言葉はまさにイル・マニフィコそのものである。

 「今からちょうど十年前の、春のある日の明るい午前に、私はフィレンツェの画廊を行きめぐって、あの有名なボティチェリの、海の姫神の絵の前に立っていた。」

これはまるであの有名なダンテの「神曲」の冒頭の言葉の様に響く。

「あの有名な」という言い回しは柳田は好まないはずであるからして、「ボティッチェリのヴィーナスの誕生」はこの時代もかなり有名だったに違いない。
この絵は同じボティッチェリの「プリマヴェラ」と並んで、ルネサンス期の哲学である、ネオ・プラトニズムを代表する絵の一つであり、メディチ家のヴィラに掛けられていたとも言われている。

 「かつて私は白人のいわゆる「永古の都」に遊んだ時に、一日大類博士に伴われて、出でて人民門外のパパ・ジュリオの大博物館を訪れたことがある。」

これが、うえのボティチェリの絵を観た時と一緒か定かでは無いが、ここに登場する大類博士の「ルネッサンス文化の潮流」という著書は、今でも成城大学の柳田文庫に収められている。
inserted by FC2 system 【鴎外との出会い】 【國男の超越性】 【沖縄発見の意義】 『新たなる太陽』 『桃太郎の誕生』 【HOME PAGE】