今明かされる土地売却事件の全貌

*黒字で書いたのが50の時したためた自伝の抄であり、紺色の字で書いたものが今回64の時点で新たに発覚した事実をあわせて補完したものである。

新事実発見(2013年1月24日)

最近何故か日本の事が気になって、相続が始まったらこの兄弟の状況で参るななんて考えていて、女房にも相続放棄していいかなんて訊いたりして、母親の葬式にも出たくないななんて考えていたら、
ふと以前から気に掛かっていた白馬綜合開発が分譲したみそらの別荘地の事を思い出した、
どう言うわけか10年前の親父が死んだ時の相続リストにも記載されていない、
だめもとで会社のHPにアクセスしてみると白馬綜合開発への直接の問い合わせのページがあるではないか、
早速問い合わせを入れると昼過ぎに担当の女性が返事を呉れた、
ご丁寧にも登記簿写しまで添付してくれた、
なななんと、所有権は母親以下長男兄嫁、姪っ子二人に二回に分けて贈与されているではないか、大体何かおかしいなと思うとこれだよ、やっと謎が解けた、祖母が文筆登記した孫四人の土地の長兄の部分だけが、所有権移転していた原因が、俺が母親に嫁の分際で先祖代々の土地を売るとはけしからんと詰め寄った時の長兄の態度、別荘地贈与の賄賂で結局買収されていたってわけだ。

ここまで馬鹿にされて、俺が協力すると思ったら大間違いも甚だしい、舐めるのもいい加減にしろってものだよ

土地売却事件

会社を辞めて少ししてから、私の許に母の依頼していた税理士から電話が入り、私に印鑑証明を二通用意して欲しいと言った。
 私が用途は何かと訊ねても、その税理士は誤摩化して答えなかった。
 怪しいと思った私は、休みの日に、実家に預けてあった実印を、忍び込んでこっそり取り戻してしまった。 それから数日経って、母から電話が入り、実家の土地を売りたがっている事が判明した。
私はその時母に、「先祖代々の土地を売る事はまかりならん、ましてや嫁の分際で土地を売るのはけしからん」と答えたのだ。

この「嫁の分際で土地を売るのはけしからん」と言ったのが、母親のフィクションで恰も兄が言ったようになっているが、元々賄賂を貰って判子をついた張本人が言う筈もなく、兄が賛成派だったということをカモフラージュする為の偽装である。

 その言葉は、兄が言った事になっているが、実は私が言ったのである。
当時は地価が一番高騰していた時期で、坪千五百万して居り、下手をするとサラリーマンが一生掛けても稼げない金額になってしまうので人生を狂わせるから、自分はあくまで反対だ言い張ったのである。
母が売りたがっている土地に丁度祖母が生きている時に贈与してくれた私の持ち分が十六坪あったので、別の場所に等価交換する寸法だったのである。
 聞けば、他の兄弟達は当時アメリカに居た姉を含めて皆判をついたと言う。
長兄の持ち分だけがそこから外れていたらしい。

これは以前より疑問に思っていたのだが、追求しそびれていた部分である、今回の一時帰国の時もあの縁側での言い合いの事を口にだしたら、口々にいつ、とか俺を糾弾したが、兄がその時「俺の持分はこっちに飛んでいたんだ」ととぼけていた部分である。

今でも、覚えているが、和室の縁側の所で、兄に、「自分が判をつかなければ売れないんだよ」と念を押した記憶がある。
 新しく私の物になる予定の所が、通路部分であった事もあって、、最終的に私は、どうせ売るなら等価交換なんてしないで自分の名義のまま売ってくれと答えた。
そして私は、にわか成り金になったのである。
今こうして文章を書いていられるのもその御先祖様の土地のお陰である。
今から思えば、母が私に家を建ててくれると言った時から、この土地の売却は母の計画に既に入っていて、あの度重なる増築はそれを暗示していた事に、当時生活するだけもやっとだった私は気が付かなかったのである。

親との対立

一時相続税対策と称して母親がマンション経営に乗り出した事があり、その時のやり方が余りに素人臭くそのマンションの会社の担当者と何やら会社を設立して、直接管理をするという事になっているらしい事を突き止めたのである。
これは一大事と乗り出し、一時母親が経営していた画廊の代表取締役をしていた事がある。
その会社の役員にもそれじゃまるで双方代理ではないか、それは違法ではないのかと詰め寄ったが、身内がそれをやっていたのでは、民法も何の役にも立たないものである。

話がマンションのテナントが入らないと言う件になり、結局建築確認が取れていない為に、今流行りの保育園には都から補助金が出る為に建築確認が無いと貸し出せないと言う事が判ったと言う話題になった。

あれが違法建築である事は僕が会社をやめて不動産屋をしてた頃から話題になっていた、母が屋上の貯水タンクの見場が悪いと勝手に地下室を掘ってそこに設置した為に建築確認が取れなくなったと確か当時も話題になった筈である。

母が宅建主任を持っていた三井農林の担当者と秘密裏に不動産管理会社を設立しようとしてた時だって、三井農林の重役にこれは双方代理であり背信行為だと言って、その担当者が俺に飛び掛って来ようとした位である。

僕が「あそこが違法建築なのは僕も知っていた、僕は建築家の藤井さんにその件を言ったら彼がむっとして、『違法建築じゃない』と言ってたぜ」と言うと、

「教えて呉れなかったじゃないですか」と長兄が言った。

大体その頃は皆で俺を悪人にしたて上げて追い出しを図っていたじゃないか。
僕が成城に見切りを付け、建てて貰った家の家賃の半額を貰うと言う約束で豪徳寺に引越し、それでも家賃が高すぎると今度は大蔵五丁目に引越しをさせられ、引っ越すたびにカーテンを替えなくちゃならないで出費がかさむ、それをある時長兄にいったら「カーテンなんか自分で払うのが当たり前だろうと」怒鳴った、自分は自分で家賃払った事が一体あるのかよ。

兄弟が自分なら母親と上手くやれると次々と乗り込んで来たのは僕が成城を撤退した後である、

「お父様が生きてる内は絶対にこの林は切らない」とお袋が断言していた土地に養子に出た次兄があの三井農林を使って地下室付きの家を建てたのだ、その頃母は乱費癖で資金減になったからか、養子に出た次兄に土地を売って金を取ろうとしていたらしい、結局は踏み倒されたらしいが、実の息子に土地を売ろうとする方も売ろうとする方である。

大体成城に家を建てる事が決まって、次兄は代田の姉夫婦のところに挨拶に行ったらしい、その時に俺と母親の関係を「畜生道じゃないのか」と言ったらしい、その時姉はこれは自分が母親と出来ていたので弟もそうじゃないかと嫉妬したに違いないと思ったと言っていた、その時、弟に勝ったと明言したらしい。

成城は昔古戦場だった為に地下を掘ると必ず主人が死んだりとたたりが起こると言い伝えられて来た、それをよりによって民間伝承の本家で続けざまに地下を掘ればそりゃ祟るわなと言う感じである。

今回も長兄が「お前が柳田國男の生まれ代わりならなんとかしろ」みたいな事をわめいていたが、柳田國男の名誉こそ守るが下らない欲の権化達まで守る積もりは毛頭ない。

柳田國男が養子先の金の事ばかり心配する義母に「そんなに心配なら壷に入れて床下に穴を掘って埋めておきなさい」と言ったのは有名な話ではないか。

柳田國男の事を何も判っていない、ましてや生まれ変わりにこの態度を取ったら救いようも無い。

僕が思い余って、「大体最初に文筆登記されていた土地の等価交換に判子ついたのがいけないんじゃないか」、「僕があの縁側で、僕が判子つかなけりゃ土地は売れないのですよと言ったじゃないか」と言うと、兄と義姉二人が口を揃えて、何年の何月何日だ、とまるで子供のように言い出した、今でも覚えているが、その時「なんだそんな事も決断出来ないのか」と兄に迫ると、「俺は人一倍気が小さくて何も出来ないんだよ」と言ったのである。

筆者が代表になった途端母親のサボタージュが始まり一切の協力をしないのであった。
いくら流通業出身の自分でも、台帳は無し、予定表も無い画廊の経営は出来ない。 先ずそこから取り掛かろうとしたが、母は協力を拒絶したのである。 母親の横暴なやり方に批判的だった自分は、事有る毎に両親とぶつかった。
一時は暴力的にもなり父に詰め寄った事もある、後で彼女は芳秋が日本刀を振り回したと言いふらして歩いた、日本刀等俺には重すぎて振り回せる訳が無い。
普段から俺は武士だと言って威張り反っていた親父に、女房の横暴をここ迄許す男は武士だったら切腹しろと迫ったのである。 話し合おうにものらりくらり逃げ回って、話にならない、こちらがカッとなって一寸暴力的になると彼女の思うつぼである。 裸足で家の周りを今にも殺されそうな声を出して裸足で逃げ回る。
彼女のやり方は汚い、今考えれば、父をあれだけ腑抜けみたいにしてしまった女に立ち向かった自分の方が、無知だったとも言える。

ある日、母は企画中の展覧会を含め、全てを放り出して家を逃げ出したのである。
その日から私は、何も引き継ぎがなされていない画廊の業務に振り回された。
ある時名前も名乗らない人が画廊に電話をして来て、「何か御子息が御病気だそうで」と言った、その時私は、又母が自分を悪者にして言いふらしているいる事を知ったのである。
途中から母が居ないと何も出来ない父も居なくなり、夫婦揃っての逃避行をやってのけたのである。
その頃私は豪徳寺に住んでいたので、何時もの様に画廊に出勤すると、大きなトラックが横付けになっていた。
何が起ったのかと、慌てて外に出ると、「話があるのはこちらの方だ」と威丈高になっている男がいた。聞くと、弁護士だそうだ。
丁度良いので、それでは画廊に行ってお話ししましょうという事になり、画廊で訳を話したのである。
こちらも法学部出身なので、法律は詳しいものだから、その時その弁護士を説得してしまい、それがいけなかったのである。
後でその弁護士を母に紹介した母の女学校時代の同級生のTさんに聞いたのだが、その後その弁護士は「芳秋さんの言っている事の方が、筋が通っている」と言って母を説得しようとしたそうである。
言わば好意で仲裁してくれようとしたのである。
その時の母の言い草が奮っている。「あんたそれでも男なの、息子一匹抑えられないで」「誰がお金を払っていると思っているの」とその弁護士に言ったそうである。
そう言われたらどんな弁護士でも、業務に忠実に取り組む他は無い。
これも後で同じ人から聞いた話だが、母からこっぴどくやられた弁護士は、Tさんに「こういう話は、長引けば長引く方が儲かるんだ」と言ったそうである。

その後、その弁護士を通じて、「許可無く、別荘を含む敷地に立ち入る事を禁ず」、「実家に来て、暴言を吐けば法廷相続人の地位を剥奪する」という覚え書きを突き付けられて、代表取締役を辞任するか、一方的に解任されるかと迫られたのである。
私はは弁護士に「こんな一方的な覚え書きにサインする馬鹿がどこにいる、解任するなら勝手にやれ」と突っ返した。
結局姉夫婦に相談して間に立って貰い、こちらから辞任する事にした。
その時、今でも覚えているが、姉夫婦に立ち会って貰い、弁護士を交えて両親と話したのだが、義理の兄が「何故、芳秋さんに協力して上げないんだ」と言ってくれ、それ以来両親と義理の兄の間も気まずくなってしまったのである。
これもひとえに私が至らない為であり、申し訳無く感じている。
離婚以来、公式の席への参加は許されず、「これでは村八分ならぬ村十分である」と言っていた、家との確執が最高に達した時期である。
私にとって、母親の栄光の歴史はそのまま恥辱の歴史であり、矢張り両親との確執が決定的になってから、自分は変ったとしか言い様が無い。

親を見切る

その後決定的に私を吹っ切らせる事件があり、一時執筆も中断していたが、不況で自分達で経営している会社も鳴かず飛ばずである事を良い事に、再度挑戦してみる事にしたのである。
その事件とは、母が私にマンションを買う様に勧め、物件も決め、頭金も支払い、あと一月で完成引き渡しという時に、こちらのビジネスは活性化しない、従って期待していた金も入らない、残金は実家で持つと言う甘言に乗せられた自分が馬鹿だったのだが、自分は頭金を持ったのだし、家族もいないので、名義は誰の物でも関係無い、持ち分が少なくなるだけだ、拠ん所なくなったら貸せば良い、投資物件としては、下手に現金で持っているより利回りが良い等と軽く考えていたのが大間違いだったのである。

購入を決めた少し前に、家族会議を開き遺言状も家族で各々の相続分を確認した後の事で、以前不動産業をかじった事のある私は、自分の持ち分の土地も少ししか無い事だし、この地価の下がり様じゃ何も残らないと早々と判断していた自分は、連帯保証人になっている兄が気の毒に思い、その時は盲判を押したのだが、前の事件の時海外赴任していて、いきさつを良く知らないで、疎遠になってしまっていた、長兄の逆鱗にふれ、支払い期限ぎりぎりに母が逃走するという事件が勃発したのである。

自分で家賃払った経験すらなく母親に勝ってに居所を移動させられる度にカーテンは自費で取り替えなくちゃならない弟に「カーテンなんか自分で払うのが当たり前だろうと」怒鳴った、長兄が、大体相続が決まった後に財産の移動をすることまかりならぬって、父親の財産ならまだしも、母親の財産まで干渉する権利などどこにもない、ましてや今回発覚した、別荘地贈与の賄賂を受け取り、母親が先祖代々の土地を売る事に加担した罪は重い。

前の事件以来その時迄は私は悪者にされていて、その家族会議は何十年ぶりに皆が一同に集まったという感じだったのであるが、そんな事も忘れ、それに気を良くした母が末っ子に接近して来たのにも気付かず乗ってしまった自分が馬鹿で悔やまれるのである。
逃げる前に、母は実家に同居している兄嫁にも「芳秋が何をするかも知れないから、家には鍵を掛けておけ、乱暴したら警察を呼ぶように」と言い残したからたまらない、期限が次の日に迫ってしまい、担当者に電話しても、 「一度お電話を頂きましたが、外出していたものですからお話し出来なくて」 「その後御実家にお電話差し上げたのですが、どなたもお出にならなくて」、と打つ手が無いという感じだった。
方々電話してみたが埒が開かず、途方に暮れている処、司法書士にアポイントメントをとったというところ迄は調べが付いたがその後が判らない、結局は諦めて、預けてあった契約書を取りに雨の中を実家に行くと、ドアと言うドアに鍵が掛かっていて、中に親父と兄嫁がいるのは見える、二人とも眼があっても困った顔をするだけで開けて呉れない。
これが、母が仕組んだ罠だったとその時知っていたら、雨さえ降っていなかったらと今だから思うが、後悔先に立たずである。
私はまんまとその罠に掛かってしまい、そこにあった石で縁側の通用口の硝子を割っていたのである。
幸い警察は呼ばれなくて、事無きを得たが、手に怪我を負ってしまった。

その後すったもんだしたが、違約金を払い、損失分は兄が実家から補填する様に取り計らって呉れたので助かったが、一時は又悪者にされるかと思って悩んだものである。 子供というものは、どんなに悪い母親でも必ず信じようとするものである。 私の母の様に、各々の子供に違う事を言い、子供がお互いに猜疑心を持合う間隙を縫って、漁夫の利を得るタイプは少ないのだと思うが、お陰でそれ以来長兄とは仲良く付き合わせて貰っている。

これも過去形になってしまった、
何せ、こないだ一時帰国した際にいきり立った長兄が、
「お前の取り分なんて関係ない」
「何の為にこんなにご馳走用意したと思っているんだ」と言った時点で、
ましてや、今回の事実発覚は元々彼には兄弟を思う気持なんてこれっぽちも無い利己主義野郎だと証明したも同じなのだから。

その頃、テレビ・コマーシャルに、「MOTHER、Mを取ったらOTHER、他人です」というのがあって、私はそれを聞く度に、このMは、MORALのMだと思ったものである。 男三人共がサラリーマンだと、一人が日本にいればもう一人は海外という感じで、皆が一同に顔を合わせるなんて機会は滅多に無い事なのであり、若い頃はお互いの競争心もあるし、それぞれ結婚して配偶者が出来ると利害もかち合うので、なんせ戦争を挟んだ年子が二組いる訳だから、お互いの立場を理解し合おうと思う方が間違っているとも言える位であり、そんな心の隙間を母に利用されてしまったと言う感じである。

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