新たなる太陽

かつて私は白人のいわゆる「永古の都」に遊んだ時に、一日大類博士に伴われて、出でて人民門外のパパ・ジュリオの大博物館を訪れたことがある。ここの館長の某さんのごとく、よく無言の教訓をもって私たちを感ぜしめた人は、他にはまだ一人も知っていない。中央の一室の目につく棚の上に、近年エトルリヤの故跡から発掘せられた上古イタリーの子安神の、高さ一尺にも満たない石像の五つ六つが並べてある。それには余計なくだくだしい考証が添えてなっかったか、もしくはあっても私には読めなかったのか、とにかく腰かけた女神の膝の上に、小さな赤ん坊を立たせた形像と、その単なる排列の順序とによって、一見してこれが半島の紀元前から、近くは有名なチマブエの聖母図まで、真紅の緒をもって一線を繋いでいたことが明白になった。思うにペトロ尊者を開基とした耶蘇教の一門派が、特に母子神の聖愛をもって信仰の中堅としたことは、よって固より遠いのであろうが、それがローマに成長してこれまでの芸術化を見るに至ったのは、別にその底に潜んで深く培うものがあったからである。

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